何がやりたいかは分からないけど今やっていることでは多分ないな、と思っている方はぜひ松下幸之助の苦労話を読んで欲しいです。パナソニックを一代で大きな企業へと育て上げた松下幸之助は経営の神様として有名ですが、子ども時代は決して恵まれてはいませんでした。貧しく、健康面でも不安があり苦労は多かったようです。松下幸之助はどのように小さい時の苦労を乗り越えていったのでしょうか。
自分の子どもとの対話の中で、松下幸之助バリともいわずとも皆さんも苦労を乗り越えて、やりたいことが見つかるヒントのようなものが見つかりましたので紹介します。
少年時代を簡単に振り返る
家が貧しかったため4年生になる頃には学校をやめ親元を離れて働きに出ることになります。火鉢店や自転車屋で働くのですが、そこでの仕事は朝早くから夜遅くまで続き、厳しく大人に教え込まれることも多く大変でしたが、小さいときから働くことを楽しみ、どんな仕事を与えられても自分なりにどうすれば楽しくできるか、真剣に取り組めるかを考えて仕事をしていました。
子どもとの話しから見えてくるヒント
そこに小さな楽しみを見つける
そうなんですよね、どうせやらないといけないのであれば嫌だなと思って時間が終わるのを待つのではなくて、何か自分なりの楽しみをその中に見出すことこそが、何事にも一生懸命になれるコツなのかもしれません。松下幸之助はその才能が小さい時からずば抜けていたのかもしれませんが、きっと皆さんにもあるはずです。うちの子にもあるのですから、もしそんなものないよと思うならただ眠っているだけかもしれませんので、たたき起こせばいいのです。
今を生きる現代人は、やりたいことがない、やりたいことが見つからない、今やっている勉強や仕事はぶっちゃけ生きるためのこと、と目の前の学問や仕事にいまいち本腰になれない人は多いのではないでしょうか。一方、世の中には”置かれた場所で咲く”という言葉があります。目の前のことに一生懸命取り組みましょう、というものです。松下幸之助は、まさに子ども時代から置かれた場所で咲き続けたのでしょう。
子育て中の方は覚えておいて欲しい
うちの子の雲梯(うんてい)のように、みなさんの子どもにとって苦手な分野のはずなのに、なぜかこれだけはそれほど嫌がらず続けている、というものがあったらそれを大事にしてあげてください。いつもは嫌がってやらないはずなのに、なぜか継続的に続けているということは、そこに何か楽しみを見つけているからかもしれません。嫌なことや苦手なことなのに、楽しみを見つけられるのは才能です。その芽をつまず大事に育ててあげてください。きっと子どもの非認知能力を伸ばす機会にもなっているはずです。
まとめ
松下幸之助は、子ども時代は学もなければお金もない、おまけに体は弱いときてる。しかし、自分が置かれた不遇の境遇をなげかず、ぐれず、ましてやおごらず、目の前のことに一生懸命取り組みました。子どもとの対話の中で見つけたヒントとして、嫌で辛いことでも、何か自分なりの楽しみをその中に見出すことこそが、何事にも一生懸命になれるコツだと紹介しました。何がやりたいかは分からないけど今やっていることでは多分ないと感じている方に思い出してもらいたい松下幸之助の物語でした。


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